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レオポルト1世(, 1640年6月9日 - 1705年5月5日)は、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位:1658年 - 1705年)、オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王(在位:1655年 - 1705年)。フェルディナント3世と皇后でスペイン王フェリペ3世の娘マリア・アンナの成人した2番目の息子。「バロック大帝」とも呼ばれた〔菊池 2009, pp. 69, 73.〕。 治世中は三十年戦争で衰退した領土を受け継ぎ、全盛期のフランスとオスマン帝国に圧迫されて苦戦を強いられたが、やがてオスマン帝国からハンガリー・トランシルヴァニアを奪取して東に領土を拡大、ハプスブルク家の大国復興の足がかりを築いた。また、ジギスムント・フランツ・フォン・エスターライヒからチロルを相続した。 == 生涯 == === 帝位継承前後の状況 === 1640年、ウィーンで誕生。聖職者になるべく教育を施されたが、1654年、後継者に決められていた兄のローマ王フェルディナント4世が父に先立って死去したため、新たに後継者となる。1655年にハンガリー王に即位し、父が死去した1657年にボヘミア王に即位した。しかし、帝位はそのまま継承されず1年あまり空位となり、フランス王ルイ14世の宰相マザランがバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアを皇帝に擁立しようとしたが、他の選帝侯たちの反対にあって失敗、翌1658年にレオポルトが帝位を継承している。 しかしレオポルト1世もすんなりと帝位についたわけではなく、選帝侯たちに莫大な金を支払い、スペインとの協力を断念するなど制約が設けられた上、ライン川方面に集まる諸侯がフランスの援助でライン同盟を結成、ケルン選帝侯、マインツ選帝侯、トリーア選帝侯ら聖俗諸侯やヘッセン=カッセル方伯、ブランデンブルク選帝侯、プファルツ選帝侯など有力諸侯も加わりライン川のオーストリア領が分断され、フランスのライン川への進出が容易になり苦しい状況に追い込まれた。ただし、ライン同盟自体は1667年に内部分裂から消滅している〔成瀬ら編 1996, pp. 6-9.〕。 おりしも東のトランシルヴァニア公国ではラーコーツィ・ジェルジ2世がポーランド・リトアニア共和国の内戦(大洪水時代)に攻め入りながら失敗、責任を問われオスマン帝国に廃位される事態が発生した。トランシルヴァニアはオスマン帝国を宗主としていたが、ハプスブルク家とオスマン帝国はトランシルヴァニアを含むハンガリーを巡って争っていたため、トランシルヴァニアの内紛が両者の衝突に繋がる可能性があった。かくして、レオポルト1世は治世を通してフランスとオスマン帝国の対策に追われることになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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